逢妻の昭和 MENU


娯楽は近所つきあいから
「テレビもパソコンも無かったでしょう、 楽しみはどんなことしてたの?」
「ほだなぁ 玉突きや射的のような、 金のかかる場所へは、あまり出入りでき なかったからのう。
楽しみは酒を呑むことぐらいかなぁ。
女の人も庵主さんへ、お茶の作法や生け花、 裁縫などを習いに行くことが、ただ一つの 楽しみだったという具合だから、根本的には娯 楽というものをあまり知らなかったということだ
だから近所同士の付き合いとか、村の行事で 集まる時は誰もがよく騒いだし、よく呑んだ……」
*夜遊び 青年団の若者が三々五々連れ立って
年頃の娘さんのいる家を訊ねて、夜なべ仕事 を手伝ったり、談笑して夜を過ごします。
いわばなんの拘束のない集団見合いみたいな もので、どこの親も黙認の習わしだったけれど
お互いに見初め合ってゴールインしたカップルが いたかどうか?
* 演芸大会 結構芸の達者な人がいて歌あり、踊り あり、アコーデオン演奏あり、素人芝居あり: 芝居の出し物は菊池寛の(父帰る)など物悲しい 劇が多くて、役者は汗をかき真剣に演技して いるのに、観客はクスクス笑っているという おかしな光景も見られたようです。
舞台も学校の校舎の中だったり、青空の下だ ったり、歓声や、笑いや、拍手の絶えないひ とときでした。
*活動写真 初期の映画のことで、数少ない娯 楽の一つ。無声で大雨が降っているような 不明確な画面でしたが、村中が早くから待ち わびて学校、公民館へ集まりました。
映画の上映される夜は、各家庭の電灯の明か りを一灯に制限して、電圧を高めたという 信じられないような話しも残っています。
代表作はマッチ売りの少女です。
その後、映画はトーキーとなり里見八犬伝に 胸躍らせ、母子船など母物シリーズに涙した ものでした。
* 敬老会 本地の青年会が月一回、松元寺に集まり、達演和尚さんによる法話と雑談の会 を設けていて精神修養の場、楽しみの場にしていました。
お年寄りが喜ぶことをしてはどうかという和尚さんの助言もあり、昭和十八年に第一回 の敬老会を、青年会主催で開きます。
翌年は出征兵士の家族を慰安する夕べと合せて、第二回を実施し、村人あげて喜ばれ たということです。 今では敬老会は常識ですが、当時は大変珍しく、出席のお年寄り も10余名だったといいます。
* 三河万歳 お正月を祝ってのんびり過ごしている門に、賑やかしいかけ声が聞こえてき ます。
万歳が一年ぶりにやって来たのです。
大黒帽子にたっつけ袴という派手な、いでたちの二人づれで、鼓を打つ人と扇子をか ざして舞う人の絶妙のコンビが、お正月にふさわしいめでたい万歳を演じます。
高く低く節を付け、流れように言葉を交わしながら陽気に囃し立てます。
見ている人、聞いている人を心から笑わせて、福を呼ぶ縁起物として喜ばれ、子供た ちはどこまでも後を追いかけたものでした。

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