第2節 かんばんの精神

これまでの説明で、作業現場を管理する道具として、かんばんの重要性を十分認識できたと思う。
そこで、次にかんばんをうまく運用することが大切になる。
そのためにはかんばんの中心をなす考え、すなわち、かんばんの精神を十分理解しておくことが必要である。

2−1 現場の徹底的な観察が大前提

どんなことでも改善を進めたり、作業の標準化をするためには、まず、その作業現場を十分観察することによって、 その現状を把握し、理解することが基本である。
しかし、この基本が案外守られていないのではなかろうか。

作業現場の問題点を調査すると、その監督者やスタッフが「このようにやらせている」といっていることが守られていなかったり、 「ここが問題だ」といっていることが、実はあまり問題ではなくて、もっと異なったところが問題だということがよくある。
これでは、管理のサークルを、うまく回していくことなどはとうていできない。

なぜ、このようなことが起きてくるのだろうか。
そこの監督者やスタッフは、現場を見ていないのだろうか。
もちろん、そうではないであろう。
問題は、自分は観察しているつもりであっても、まだまだそれが不十分だったということにあり、
このことは観察方法に問題があると言えよう。

まず第1に、観察の態度に問題がある。
人間は、とくに経験を積んでくると、いわゆる先入観を持って物事に対しがちである。
「これまでもこうだったから、今度もどうせこうだ」と思って問題点をみては、そのように見えてしまうものである。
それでは正しい観察はできない。
常に先入観を持たず、白紙になって観察する態度が重要である。

第2は、表面的な観察にとどまりがちだという点である。
第1の場合と同じように、経験を積んだ人間は、ちょっと観察すると、すぐ問題のありかがわかったような気になることが多いが、 そこで観察を止めてはいけない。
本当の問題点は、ちょっとした観察で、わかったように見える問題の背後に、かならず隠れているものである。
したがって、自分では問題のありかがわかったと思っても、「いや待て、まだ問題はもっと奥深いところに隠れているはずだ」と思い直し、 さらに執念を持って観察を続けることが大切なのである。

第3に、「観察の時間が短い」ということである。
現場に問題が起きた場合、「半日くらいはジッと立って観察しろ」ということをしばしば言われるが、まったくそのとおりであって、 時間をかけて観察すれば、かならず問題点も具体化し、解決策が何か見つかってくるものである。
「忙しくて、とてもそんなに時間がかけられない」などとはまったくのいいわけであって、問題がいろいろあって忙しいからこそ、 半日くらい立って観察し、正しい解決策を見つけ出さなければならないのである。
事実の背後にある真実を発見する姿勢で観察しなければならない。

このような徹底した観察はなかなかおこなわれていない。
しかし、不十分は観察の結果で決められた標準作業は、どこか現場の実態に即さぬムリが生じてくるから守られないのである。
一方、優れた作業現場であれば、絶えず改善のための対策がうたれている。
そして、問題点も刻々と変化しているから、すぐれた作業現場では、 いつも白紙の立場で十分観察して、問題点を間違うことなく把握できるのである。

絶えず変化し続けている現場を、いつも上で述べたような態度で、十分に観察すること、これこそ現場を管理する基礎であり、 このような態度の中から、よい標準作業がきめられ、これを通じて目で見る管理体制か出来上がる。
そして、かんばんが効果的に運用できる土台が作られるのである。
したがって、かんばんを正しく運用しようとする人は、その大前提として、現場を徹底的に観察する態度がもっとも重要である。

2−2 合理性の追求と人間尊重の両立

現場の管理のサークルをうまく回し、居候を撲滅していくためには、すでに述べたように 、見ればすぐわかり、守れるような標準化の徹底がその第一歩である。
そのためには、はばむ要因を、徹底的に排除しなければならない。

そうするためには、まず単純化への努力が大切である。
現場の作業の中には、一見複雑で、とても解きほぐせないようなものがあるが、 だからといって、すぐあきらめるようでは失格である。
複雑さを生んでいる要因を究明し、複雑な作業を分解し、より単純な作業にしようとする、あくなき執念が大切である。

次には、例外排除への努力が必要である。
たとえば機械に故障が多いとか、不良品がしばしば出たりするとか、 このような問題をカバーするために、標準化されていない作業をさせてしまい、 結局、標準作業が守れなくなる原因となる。
したがって、絶えず質・量を安定させるべく例外排除、つまり、トラブル撲滅への努力が重要である。
この努力は、言葉を変えれば、結局、ムダ・ムラ・ムリを排除する態度、つまり、合理性の追及ということになる。

ところで、このような合理性の追求の結果、当該作業そのものは単調化、単純化されることになる。
もしもこれに対する対策を考えなければ、結局、仕事の場における人間疎外の問題に結びつくことになるであろう。
しかも、自動車工業のような大量生産工業では、これが現実の問題となって現れていることも事実である。
しかし、合理性の追求と人間性の尊重とは両立させなければならないし、 これを両立させようというのが、かんばん方式の精神であり、当社の基本的な考え方である。

なぜならば、作業現場を目で見る管理ができる状態にしておけば、そこに働くだれもが問題点や改善点、 つまり居候を発見しやすい状態になっているということになる。
作業そのものは単調であっても、誰もが居候の発見を通じて改善活動に参加できる、 つまり、自分も職場をよりよくできるという参画意識をもちうる。
そして、自分の力で改善ができたという達成感が得られることこそ、仕事の場における人間性の回復ではないだろうか。
したがって、大切なことは、誰もがこのような活動に参加できる雰囲気・環境を 、かならず職場の中に作り出しておくことである。

居候撲滅運動に、全員が参加できる環境を作って、合理性の追求と人間尊重の両立をはかることこそ 、かんばんを運用する人々が、特に心がけなければならないことである。

2−3 改善に向かって不断の努力を

それでは、かんばんの精神のかなめとなるものは何だろう。
それは言うまでもなく、居候撲滅の態度である。
前に述べた「徹底的観察」や「合理性追及」も、いわばそのための土台であって、われわれはこのような土台をしっかり築いたうえで、改善という立派な城を建てなければならない。

改善活動の基本は、科学的接近の態度であるといわれる。
そこで、これはどのようなことかを説明する。

まず、問題点を発見するためには、ファイブ・ホワイ1H、つまり「なぜか」を5回反復するのが当社の科学的接近の態度の展開といえよう。

一般に5W1Hと呼ばれる設問法は、なぜ・なに・どこ・いつ・だれ・どのように、ということを、疑問をもって問う方法である。
しかし、これは単なる表面的な問題発見にとどまる場合が多く、より根本的な問題の発見はむずかしいといえよう。

たとえば、機械が動かなくなったとしよう。
「なぜ止まったのか」「スイッチが動かなくなったからだ」
「なぜ動かなくなったのか」「スイッチのケースに油が入るからだ」
「なぜ油が入るのか」「給油のパイプがスイッチケースを通っているが、そのつなぎ目から漏れるからだ」
「なぜ漏れるのか」・・・
「なぜパイプがケースを通っているのか」・・・
と、「なぜ」を繰り返すことが重要であり、このようにして、はじめて問題の真の原因を浮かび上がらせることができ、 再発防止のための根本対策が立て得るのである。

この例の場合も、1回のホワイだけなら、単にスイッチを変えるという対策、 3回のホワイではつなぎ目をテープで巻くこともできる。
5回のホワイで、パイプがケースを通らないように直すというように、単なる表面的な対策から、 より根本的な再発防止のできる対策になっていくことがわかる。

このファイブホワイの態度は、先ほど述べた「徹底的観察」の態度と言っているのであって、 問題発見のためには「先入観を持たずに白紙になって観察する」「事実の背後にある真実を発見する」、 そのために「半日ぐらいはジッと立って観察する」という態度が必要である。
この言葉を変えれば「ホワイブホワイ一本でやれ」ということにもつながるのである。


次に、改善案を立案するために重要なことは、全体のつながりを考慮したものの見方である。
すなわち、系列的な考え方に立って、単位的な考え方にとらわれないようにすることである。

たとえば、ある現場で外注部品のA部品とB部品を組み付けてから車両に組み付けているが、 A部品とB部品との組み付けは面倒なので、外注先で組み付けてから納入してほしい、というような話がある。
この場合、外注先で組み付けたほうが組み付け工数が減少するならよいが、反対に、かえって増大するような場合は、誰でもこのような外注組み付けはおかしいと感じるであろう。

しかし、自分の現場のことだけで改善を考えていると、上の例のような話はよくおきてくるものである。
改善案を考える場合、自分の現場のみの改善ではなく、関係部署を含めて全体として、効果のある改善案を考えることが重要である。
自動車工業のような、総合工業では、特にこの考え方が必要である。
これをさらに拡大すれば、結局、オール・トヨタとしての改善案につながるのである。


改善について立案したのち、その改善案の実施にあたっては、実行にまで結びつける執念を持つことである。
せっかく苦労して改善案ができても、これが実行されなければ、何にもならない。
そういう意味からすれば、改善活動はあくまで結果で勝負することである。

しかしながら現実には、改善活動においては、この実施が一番むずかしいのである。
なぜならば、改善案をうまく実施するためには、どうしても他の人に理解し納得してもらって、 やってもらわなければならないからである。
しかし、改善案が、すばらしく、斬新であればあるほど、むしろ、その受け入れにあたって、 その関係部署の人たちは、抵抗を示すことが多いのである。
自分の持っているすべてをぶっつけてその壁を打ち破り、実行に結びつける執念・行動力こそ、 改善という城を建てるために、もっとも重要である。

以上のような態度で、改善活動を何回も繰り返し、一つの改善が終わったら次の改善へのスタートとする。
すなわち、改善活動とは、果てしない階段を一歩一歩上ることである。

われわれは改善に向かって不断の努力を続けなければならない。

2−4 物事は決めたとおりには動かない

今までは、かんばんの考え方を、改善活動に焦点を合わせて検討してきたが、次に、別に角度から、 かんばんの考え方について検討する。

それは、物事はすべて決めたとおりには動かないということである。
どんなことでも物事をうまく遂行するには、実態に即したもっともよいと思われる計画を立て、 その計画に基づいて、規則や基準を決めたり、指示・依頼などしたりして実行に移されていく。

しかしながら、いかに実行可能なように決めたとしても、実際に動きだしてみると、 決めたとおりに実行されていない場合が多い。

つまり程度の差こそあれ、決めたこととは何らかの形で少しずつ違った形になっているのである。

これは、いかにきびしい計画を立てたとしても、生じてしまう許容すべき誤差であって、 この誤差を別の方法で管理し、修正しなければならないということである。
このことは、実際に物事を動かしている実務者であれば、誰でもよく知っていることである。

かんばんは、この誤差をなくするために実務者が考え出した知恵の結晶なのである。

物事を決めたとおりになにがなんでも動かしてしまうという考え方は、たとえば、 統制経済・計画経済の考え方である。
このようにやれば、すべてが、もっともうまくいくという計画をたて、 そのとおりに動かしていくという計画経済においては、その実態としては、 ヤミ行為という国民のやむにやまれぬ人間性に発する行為(現場においては、 このような人間性に発するヤミ行為はつきものである)や、 環境の不測の変化によって、すべてうまくいくハズ(推測)のものが、 現場の実態は推測と異なっており失敗に帰してしまう。

計画どおりに、何が何でも動かしてしまうことだけにこだわらず、 実行面で、その自然調節の作用も生かすほうが、全体として、よりバランスもとれてうまくいくということは、 われわれがよく知っていることである。

いま説明したように、いわば、計画と実行とのギャップを埋めていくということ 、しかも、それを実行する側、すなわち、現場が中心となって問題を解決して、 計画と実行のギャップを埋めていくという考え方が、かんばんの精神の一つの大きな柱である。
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