My Way


はじまった一九八〇年代の半ば、宮本さんは社内の有志たちとともにOA化グループを結成して、コンピューターのあれこれを学んできた。職種、学歴、年齢に関係なくパソコン操作に興味をもち、BASICが使える人たちと自主研鑽を積んだことが、つぎなる職場で実を結んだのである。そのときのメンバー七人のうち宮本さんを含めて六人までが高卒であった。世界のトヨタを支える人材の分厚さを思い知らされる。
トヨタの社内のプログラムコンテストでは優勝してトロフィーをもらったし、お遊びでトヨタ麻雀のソフトをも開発した。その自動車メーカーならではの麻雀ルールとは、四筒は四輪に似ているということでイーハン、西は車に通じることでこれまたイーハンをつけた。定年後も、この遊び心が






さらにふくらんでいった。

技を磨き、教える

現在、宮本さんが「還暦QPON」というホームページを開設しているということは、すでに前号で述べた。この名称に含みがあるのかというと、Qは宮=APONは本≠ニ苗字をおきかえただけのことであるという。他人に「なぁんだぁ」と思われるのを、本人は面白がっている。
そもそもホームページを立ちあげたのは平成八年、五八歳のとき。当時、簡単にホームページを作成するソフトは出まわっておらず、書店には作成法を指南するテキストもなく、かろうじてパソコン雑誌に掲載された記事を参考にして、どうにかそれらしきものをこしらえた。
「家族と犬の写真を掲載した程度のもので・・・」
しかしいま『還暦QPON』にアクセスすると、百花繚乱、鳥や蝶が舞い、花火の打ち上げもたのしめる。
驚くのはアクセス数の膨大さである。平成十五年八月の一ヶ月間だけでも二万千六百八十六件にものぼる。盛りだくさんの目次は、すっきりと整理され、さまざまな手作りツールが紹介されている。たとえば「波のスライドショー(バージョンアップ)」とあるので、そこをクリックしてみると、咲いた花々が水面に映えて揺れる。そのほか囲碁、将棋、麻雀、ジグソーパズルなどの「ゲーム・ツール総集編(ソース公開)」をはじめ「パソコンの時計あわせツール」「英語のホームページの簡単な作り方」「自動起動CDの作り方」「マウス
で鳥を鳴かせる裏技」「孔雀サボテンのスローモーション(ワイプ)開花」など数々のツールが紹介され、惜しげもなく作成法も公開している。
菊づくりを得意とするひとが、大輪の咲かせ方を指南する。達人が創作料理を完成させ、そのレシビや隠し味を教える。宮本さんにとってホームページは、挑戦した自作ツールの数々を披露する場であるようだ。「今度はこんな技を駆使してツールをつくってみました。みなさん、いかがですか」という声が聞こえてきそうな、楽しいホームページである。

訪問者「百万人」の夢

『YAHOO! JAPAN』(平成十三年九月号)に、東京、港区に住む主婦の子育てを記録したホームページ『日南子の成長日記』が紹介されている。長女が生れた平成十年から折々の写真と感想を掲載したものである。ホームページ開設のきっかけについて、主婦は「地方に住む親類に、子どもの様子を簡単に知らせたいと思ったことです。写真を焼き増して手紙を書いて・・・というのは大変ですよね。でもホームページにしてしまえば手間がかかりません」と語っている。そのホームページは写真と日記を見やすく保存しておく「アルバム」としての役割もはたしていたのである。
この主婦は、宮本さんの長男のおヨメさんであった。毎日のようにヨメが発信してくれる孫の写真入り情報に宮本さんは目を細めているのであろう。宮本さんは私に「豊田市にいながら東京の孫の成長ぶりが手に
取るようにわかるのも、ホームページのおかげです」と語っていた。ホームページの閲覧もさることながら、ホームページづくりはもっと自分の視野をひろげてくれる、視えなかったものを視えるようにしてくれる。
というのが、宮本さんの持論になった。ホームページの題材にしようと、自宅付近の野花を一年間かけてデジタルカメラで撮ったところ、三百種類近く咲いていることがわかった。鳥は五十種類以上、蝶は四十種類以上いることがわかった。そしてさらにメーリングリストを運営すると、二百名以上が参加して、パソコン操作にまつわる情報交換をすることになった。
在職中にもまして宮本さんの人脈は拡大した。だからといって、メンバーと直接に会う「オフ会」を催すようなことはせず、あくまでネット上の交際にとどめているという。
「しがらみがないのが長つづきの秘訣であると私は思っています。会ったことのない人とネット上でつきあう。だから楽しい」
会って親しく口をきけば、情実やら利害関係が生じるかもしれない。そうしたつきあいのはかなさは、在職中にさんざん体験してきたのかもしれない。
「これからも地域のみなさんや全国のネット上の仲間たちに自分が役立つようつとめます。ホームページの訪問者百万人を達成する第二の還暦≠ワでがんばりたいですね」
ちなみに『還暦QPON』の訪問者は平成十五年十月十八日現在、四十二万千七百九十一人を数える。第三、第四の「還暦」もありそうである。












トヨタ自動車から系列の中央発條に中間管理職として異動したのは、五十四歳のときである。一般にいって、迎える側の生え抜き社員にしてみれば、決してよろこばしい人事ではない。送りだされた宮本幸雄さん(昭和十三年生まれ)にしても、きびしい職場環境であることを覚悟していた。
トヨタでは主として生産管理をたんとうしてきた。中央発條では、まずシャシばね事業部の部長代理として工場管理システムの開発にあたった。私のような門外漢からすると、勘どころを押さえればやりやすい仕事のように思われるが、当人にしてみれば衆人環視のもと実力を試されているようで、かなりの緊張を強いられたらしい。
「なんでも知っている者がやってきたと、周囲からは思われているからね。知っているどころか、それ以前に、会議の席上で飛







びかう言葉がトヨタとは違っていて、戸惑いがありました」
トヨタとホンダでは廊下を歩く社員の速度が異なるといわれるように、系列であっても、企業それぞれに特有の”文化”が醸成されている。そんなの知ったことではないと、天下りの既特権にあぐらをかいて「よしなに・・・・」とほどほどをきめこむ者はいなくもない。しかし宮本さんは根っからの仕事師であった。
いかにすれば異文化コミュニケーションの壁を乗りこえられるのか。宮本さんは「技術屋にたいな事務屋」の本領を発揮する。独学で覚えたBASIC(プログラミング言語)を駆使して、生産システムの効率をグラフ化するなど、一目瞭然のプログラムを組んでいった。
現場から求められるデータをすぐさま取り
だせ、お互いが明確なデータを共有でき、私にも現場にも役立つソフトをかいはつするようにつとめました」
中央発條では六十二歳までの八年間働き、この間に役員待遇にもなった。
振りかえると、トヨタで事務のOA化が







YomiuriWeekly 2003.11.9
My Way


野鳥たち」「身近な生き物図鑑」など、盛りだくさんの情報を提供している。
ただし、他のホームページ に比べると、芸が細かいというか、かなりの技を駆使している。
たとえばモニターに映しだされた蝶の静止画像をマウスのポインターで撫でると、羽が動いたりする。野鳥も同様に静止画が動画になる。その技は専門誌「YAHOO! JAPAN」のベストウエブガイドで五つ星(最高)の評価を得ていた。

地図から飛び出すリンク集

私は宮本さんの話しを聞くうちに「えっ、そうでしたか」と思わず声を上げた、何も知らないまま、宮本さんの技を利用させていただいていたのである。




たとえば福岡県にどうしてもあいたい 人がいるとする。取材の申込みをしてOKをもらうと、さらに欲が出てくる。どうせ福岡まで行くのであれば、その周辺地域でさらに一人でも二人でも独自性のある生活を送るミドルかシニアを取材できないものか。さもなくば往きは飛行機、帰りは新幹線にすると、広島や岡山あたりでどなたかに会えるかもしれない。こう考えて、これまでに読者から寄せられた情報を書きとめたノートを見たり、以前取材した人たちから電話で情報を得たり、インターネットで検索したりして、候補者をさがす。
そのようなとき、偶然ながらネット上でいきあったのが「地図から飛び出すリンク集」という検索サイトであった。
画面には日本地図が現れ、無数に赤い点が各地に打たれている。北海道から鹿児島まで、点の総数は三百以上にもなる。いずれもその土地に暮らす人たちのホームページであった。マウスを使って各点にポインターをあわせると右側四分の一ほどの画面に、そのホームページがどのような内容であるか、簡略に紹介される。面白そうであれば、点をクリックすると、それぞれの表紙が現れる。
ちなみの福岡市のあたりに打たれた点がどのような人物のものか見てみると、日本中を旅して写真を撮った人がいて、今度会ってみたいなぁという気になる。この地図から飛び出すリンク集を見ていくと、登録者の中には、ずっと以前に私が取材したミドルやシニアもいることがわかって、思いがけずその近況を知ったりする。
私が「いろいろ利用させてもらっておりま
す」と言うと、宮本さんはうれしそうに「そうですか、結構ファンが多いのですよ」と応える。後述するように、こうしたお役立ちコンテンツを無料で提供し、さらにその作成法までインターネットで教えているのである。
「地図から飛び出すリンク集」はパソコン操作を意欲的におこなっている人たちに口コミでひろまり、登録者は三百人を越えた。ただし「商売がらみ」「不健全なもの」「出会い系ふう」などは断るようにしている。この登録者に対して、ネット上の井戸端会議とでも言うべきメーリングリストへの参加を呼びかけたところ二百人以上の応募があり、とりわけコンテンツづくりの技術について熱心なやりとりがつづいているという。

技術屋みたいな事務屋

宮本さんは、ネット上の情報マガジンで「ホームページ作成の達人」として紹介されたことがある。そこでは「インターネット作成関連の本を見て、コツコツとつくりました。最初は家族の写真を掲載した程度ですよ」とかたっていた。
職場では技術畑を歩いてきたひとかと私は思ったが、そうではなかった。商業高校を卒業してトヨタに入ったのが昭和三十二年、もう一社大同製鋼からも合格通知が届き、どちらに入社しようか迷ったという。
「まさか私らが乗用車に乗れる時代がくるつは、思ってもいませんからね」 基幹産業を蹴って、まだ小さなトヨタを選んだのは、自宅から近く通勤の便利なこともあっ
たのだろう。人生、なにが幸いするかわからない。
人事課、庶務課、部品管理課、QCサークル推進事務局と歩き、三十七歳のとき原価係の係長になり、四十六歳のとき事務化の課長に就いた。
「私自身”技術屋みたいな事務屋”と呼ばれるのがうれしい。”事務屋みたいな事務屋”ですと、いかにも役人みたいですからね。個人でパソコンを買ったのは、四十五歳のときでした」 宮本さんを除いて、全員技術屋という会議に出席して発言した時のこと。技術屋の一人から「そんなことパソコンを使えば簡単に出来る」と蹴散らすように言われ、気持ちが萎えた。早速コンピュータ関連の本を買って読み始めたものの、苦手な横文字が入り乱れ、さっぱり理解できない。しかし、本の巻頭に《読むより触れるのがなにより》とあったので、ボーナスから七万円をはたいて機械(PC6001)を購入する。まだマウスもなく、データはカセットテープに保存し、テレビにつないで見るという「いまの機械に比べると、おもちゃみたいなもの」であった。 ともあれBASIC(プログラミング言語)をおぼえ、一ヵ月後にはプログラムが出来るようになった。
その後、生産管理部次長や工場OA化主査をつとめ、五十四歳から中央発條に出向する。
「経営のトップではなく中間管理職(部長代理)として出たものですから、きびしいものがあります」
このときパソコンの独学が効を奏した。
            (以下次号)












自宅近くを流れる矢作川の支流、逢妻川が流れている。
世界のトヨタの生産拠点として知られる、愛知県豊田市には鄙の風景がまだ残っている。工場の周辺には田園が広がっているし、農家らしい家屋も点在している。
「定年を迎えたとき、職場の仲間からデジタルカメラをプレゼントされましてね。自宅の近辺を撮影しているうちに、クルマで通勤しているときには気づきもしない発見がいっぱいありました」
元トヨタ自動車の宮本幸雄さん(昭和十三年生れ)は、定年後、自宅周辺を散歩するのが日課となった。逢妻川の堤防に咲く野花を見つけるとデジタルカメラで撮り、パソコンのハードディスクに収める。そして植物図鑑を開いて花の名前を確かめ、写真の下に書き込む。 五月の上旬に咲くのは淡







い紫色のアカツメ草(マメ科)、七月下旬は黄色のオオマツヨイグサ(アカバナ科)九月中旬はピンク色のアオイ(アオイ科)・・・と言った具合に。
「こうして一輪ずつ記録していくと、逢妻川の堤防だけでも三百種類近くの野花が咲くことがわかって、びっくりしました。」 自宅裏の小山には、野鳥がやってくる。ヤマガラ、カケス、ツグミ・・・とこれまた二十種類以上にもなる。それらに散歩の途中で見たムクドリ、ホオジロ、カワセミなどを加えるよ五十種類以上にもなる。
さらに目を凝らすと一b四方地面の上には昆虫たちが何匹もいる。蝶だけでも四十種類以上発見した。その動きが興味ぶかく、カメラだけではなくビデオにも収めるようにする。
ミドルやシニアが解説したホームページを
見ていると、山登りを趣味にする人が登山の記録を、旅好きの人が旅行記を、温泉フアンが各地の入湯記と、それぞれ多彩な
発信をしている。宮本さんも自身のホームページ『還暦QPON』を立あげて、逢妻川流域に咲く「野の花図鑑」「裏山に来る







YomiuriWeekly 2003.11.2