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千足八柱神社 【獅子芝居】

「獅子芝居って初めて見たんだけど、 ちょっと変わってて面白かったわ」
「そうだなぁ わしも40何年ぶりに見させて もらった。
特に(阿波の鳴門)の下巻(重郎兵衛内の段) は千足では初公開だと思うよ。
今まで上巻の(子別れの段)一本だけの上演 だったからね。
早くから大人から子供まで、多くの人が集ま って、舞台の上が白くなるほどおひねりが飛び 交って…… 拍手喝采だったね。
きっと昔を懐かしむ人々が、再演を待ち望ん でいたんじゃろう。
これからも見たいという要望も、多いという ことだから、なんとか世話役さんの骨折りで、 毎年十月第二日曜の祭り日には、伝統行事と して、ぜひ定着させたいものだね」
千足の神様は獅子芝居がお好き?
千足八柱神社は天穂日命、天津彦根命 など、八祭神の筆頭が女性の神様だと いわれています。
ゆえに勇壮で華やかな気風をお嫌いに なるという伝えがあり、区内では 男子が誕生して、端午の節句を祝うにも雄々しくのぼりを立てるのは控える というしきたりが今も残っています。
神社祭礼においても、のぼりはもちろん、賑やかしい鳴り物入りの行事はありませんが 唯一、獅子芝居が村をあげての娯楽として明治以前から奉納されていました。
祭り前後の三日間をシンガク・ホンガク・ヤマオロシといい、地元の青年会が祭事に なくてはならない裏方を務めました。
まずはシンガク。
社務所横に保存されている、丸太を縄でしばり骨組をして、天井と三方をむしろで囲っ て舞台小屋を掛けます。小屋への通路は青竹を組み、桟敷へと導きます。
「むしろの天井では雨が降ったら大変だった?」との問いに「雨の降った記憶はない」と きっぱりした返事が返ってきました。
小屋が仕上るのを待ち兼ねて、村人の場所取りが始まり、一等席から敷物や座布団で埋 まっていきます。
そしていよいよホンガク。
富士松村(現刈谷市)の東境から獅子頭役・ 語り役・ 笛、太鼓の囃子方などの一行も 到着します。
彼らの観音院宿泊・食事などの世話も青年会が受け持ち、夜の公演に向け、雰囲気は盛 り上がっていきます。
祭りの呼び物である、獅子芝居はまず楽屋と呼ばれる囃子方による(寄せ囃子)から始 まります。舞台上手に位置した囃子方は、笛・太鼓を打ち鳴らし(幣の舞)へとつなげて いきます。 幣の舞は左手に御幣を、右手に鈴を持って邪気祓いをする古式の様式を色濃く残した歌 舞舞いと、番傘を使う曲芸に似た(アゲ) と呼ばれる獅子舞いとで対をなしていて、獅 子頭が一人で演じ分けます。
さらに狂言芝居へと続き、お弓さんと おツルの悲しい子別れの名台詞に、ほろ酔い 加減の男衆も涙を絞ります。
主役の獅子頭役は、両の手が自由に 使えるよう、獅子頭の面裏に付いて いる心棒を、口にくわえ歯で噛んで 演技をします。
獅子面の口から外の様子も見るのです。
ゆえに獅子頭は軽くなるよう、工夫 されているとはいえ、名人ほど歯が ガタガタだったといいます。
獅子頭を冠し、衣装は紺の股引き・ 派手な襦袢・袖に紋が付いた黒着物 を着し、白足袋をはき、赤い角帯の 上に白い布を巻いて左腰にその端を 垂すという出でたちは、一見奇妙で す。しかし、しなやかな女形の仕種 は、観客にだんだん違和感を感じさ せなくなり、随所に見せ場を作って いきます。
し物が、昔から民衆の心を掴み、お らが村の祭芸能として、広く根を下 ろしていったのだと思います。

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