天災 災害の章

 第二次世界大戦が勃発して三年、生活物資も底をつき、明日の食べ物にも困り切ってい
た人々に、さらに二つの大事件が追い討ちをかけ、いよいよ生活を苦しめていきます。
 東海地方をたて続けに襲った東南海地震と三河地震です。

東南海地震

「昭和十九年十二月七日のお昼過ぎだったって?」
 
「あの日は朝から醤油作りの大豆をお釜いっ
ぱい煮込んでいた。
醤油も味噌もすべて自家製だった
からね。午後1時36分ごろ、南の方向から
突然ゴウーという地鳴りがして、地面がドス
ーンと盛り上がり、同時に上下に激しく振動
し始めた。
母屋の屋根が東より西へ大きくうねって、
3つの波の山と谷がはっきり見えたぞん。
 醤油作りのクドの火は燃え盛っていて、
手がつけれんほどだったが、とにかく消さ
ねばならん。
そばで動けなくて、大声を上げているわしの
おばあさんを外へ引きつり出して、安全な
所へ非難させた。それから手近なバケツを
掴んで15mほど先の池へ走った。
しかし足がふらついて思うように走れない。
自分では早く走っているつもりなんだが、
きっと酔っ払いがフラフラ歩いてるような感じだったと思うよ。 
 やっとの思いで水を汲んで戻ってくると、縦揺れは横揺れにかわっていて、屋根瓦の
土埃がモウモウと上がり、太陽が黄色く霞んで見えた。
 狙いを定めて水を掛けるのだが、足元がふらつくのと、気があせっているのとで
うまく消えない。2度目も失敗。3度目に水を運んでいる時、地震は納まった」

「いやだ 恐い!どのくらい揺れていたの?」

「どのくらいだったろうね、時間にすればあっという間の2〜3分のことだったと思うよ。
 この地震で部落で一軒の家が全壊した。しかし柱のひび割れ、壁の崩れ落ち、瓦のずり
落ちなど大小の差はあれど、多数の被害がでて、道路もいたる所で陥没してしまった。
 幸いにこの辺は、けが人だけで死者がでなかったけれど海に近い地方は大変な被害だった
らしいぞん」
 この地震は報道管制が引かれ、言論統制の厳しい戦中時のこと、詳細な発表はされません
でしたが、後に東南海地震と名づけられ、愛知・静岡・三重などの沿岸地方を中心に甚大
な被害を受けました。
震源は北緯33.8度・東経136.6度の東海道沖。
マグニチュード8.0 度。
死・不明者1223人。
家屋全・半壊54119軒。
津波が各地を襲い、波高は熊野沿岸で6〜8m、
遠州灘沿岸で1〜2mといわれ、3129軒の流失。
紀伊半島東岸で30〜40p地盤が沈下したといわれます。


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