逢妻の昭和 MENU


生活の章

「着るものはみんな家で作っていたと、 おばあちゃん言ってたけど、そんな事が できたんだね」 「うーん お金がなかったし、物も乏しかっ たもんで、自給自足は当然のことだったなぁ。
まず畑で綿を栽培する。
収穫してロクロで種を抜く。
それを綿打ちしてもらって糸に紡ぐ。
糸は紺屋(染物屋)で染めて もらった後、はた織り機で反物にする。
はた織りは細かい手作業で、いくつもの 工程があり、母さんは苦労していたようじゃた。
たとえ野良着でも手を抜かずに、縞模様、 格子柄、派手向き、地味向きと着る人に 合わせて、織り方も変えていたっけ」 「えー柄からオーダーメイドなんだぁ……」 「ウッフッフ…… ほうだなぁ 母さんは着る 人が似合うように工夫するのを楽しんでいた かもしれん。シルクというのかん? 絹の布 だって織っていたぞん。
おかいこさんの出荷できない二等品の繭は、 家で糸にしたもんな。夏の夕方、涼しくな るのを待って庭で練炭を燃やす。大きい鍋で グツグツ繭を煮る。鍋の上に糸を紡ぐ機械を 置いて、繭から糸を巻き上げていく。
その糸を織り上げて染めに出すと、光沢のある軽くて暖かい反物になるんじゃ」 母の手作りはぽっかぽか 母親の夜なべ仕事で織られた反物は素材用途に合わせて、色んなものに仕立てられまし た。
*丈夫で着心地のよい綿の反物は主に、男物のさるこじゅばん、股引やシャツなどの野良 着用でした。女物は普通丈の着物に仕立て、農作業の時は裾をたくし上げ、短くして帯 で止めました。
*軽さ、温かさ、豪華さを備えている絹の反物は 晴れ着用で、男の人のよそ行きの洋服、女の人の セーラー服、お嫁にいく日の華やかな衣装、 その他半纏、布団などでした。
*木綿糸、毛の混ざった糸、太い絹糸の布は 普段着用でした。
*古くなった布地は、裂いて配色も考えながら、 15〜20p巾に織り、帯にしました。
立派な再生品です。
*足袋も木綿糸を分厚く織り、刺し子をほどこし、 さらに糊つけした丈夫な布を、足底の部分に 使った自家製でした。
足のサイズ(文数)をとった型紙も大小 そろっていたようです。
心をこめた手作りの衣料品は、家族の身体 だけではなく、心の中までぬくぬくと温かく してくれたことと思います。

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